酒は、百薬の長?

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少し前に報道関係で、アルコール依存症の事が話題になっていました。

お酒というのは、いい面も悪い面もあると私は思います。

今回は、悪い面についてのお話を致します。

 

古代の健康に対する認識

 

東洋医学のベースになっている『黄帝内経』から、お酒に関しての有名な文章があります。

 

昔在黄帝、生而神霊、弱而能言、幼而徇斉、長而敦敏、成而登天。

廼問於天師曰、余聞上古之人、春秋皆度百歳、而動作不衰。今時之人、年半百而動作皆衰者、時世異耶、人将失之耶。

岐伯対曰、上古之人、其知道者、法於陰陽、和於術数、食飲有節、起居有常、不妄作労。故能形与神倶、而尽終其天年、度百歳乃去。今時之人不然也。

以酒為漿、以妄為常、酔以入房、以欲竭其精、以耗散其真。不知持満、不時御神。務快其心、逆於生楽、起居無節。故半百而衰也。

黄帝内経素問 第1 ~上古天真論篇~

 

上記の文章を大まかに訳します。

 

昔々、軒轅黄帝は生まれながらに聡明、小さい頃からよく話す事が出来、幼くして理解が早く、成長して誠実で俊敏になられ、成人して天子になられた。

軒轅黄帝は、岐伯に問いました。「私は、上古の人は皆100歳を超えて生き、なお動作も衰えなかった。と聞いています。ところが今どきの人は、50歳にならずにしてほとんどの人の動作が衰えます。これは、時代のせいでしょうか?それとも、人々が正しい生き方(養生)を見失ったのでしょうか?」

岐伯は答えました。「上古の人のほとんどは、その道(養生)を知り、陰陽にのっとり、術数に合わせ、飲食に節度があり、休息と活動に一定の規律があり、むやみに消耗するような事はしなかった。だから、肉体と精神は共に健やかで、ほとんどの人が寿命を全うし、100歳を過ぎてからこの世を去りました。ところが、今どきの人はそうではない。

酒を水のように飲み、常に節度がなくデタラメで、酒に酔って房事をし、様々な欲に振り回され元気を使い果たし、そのため寿命を必要以上に消費するのです。自分の身体を充足させる事を知らず、精神も安定させない。快楽に溺れ、生きる楽しみに逆らい、生活リズムもデタラメです。そのため、50歳にならずにして心も肉体も衰えてしまうのです。

~木下かおりの意訳~

 

 

昔の人は健康で長生きしてたのに、今の人は不健康で寿命も昔の人の半分しかないと書かれています。

逆に考えると、養生をすれば多くの人は、健康で長生きが出来るという事です。

 

話を戻しますと、

不健康な事をして寿命を縮めた原因の1つに、『酒を水のように飲む』と書かれています。

これは、連続飲酒やアルコール乱用を連想させます。

そのように考えると、黄帝内経素問が書かれた2000年以上前に、アルコール依存症というのが既にあったと考える事が出来ます。

 

アルコール依存症というのは、依存症になった人だけでなく、周りの人も不幸にしてしまいます。

それは、ただアルコール依存症の人が悪いというのではなく、なぜアルコール依存症になったのか?というのを考えなければ、なかなか改善しない問題のような気がします。

 

 

最後に、サン=テグジュペリ作の『星の王子さま』の酔っぱらいの星を引用して、終わります。

 

次の惑星には酔っ払いが住んでいた。ここにはほんの少ししかいなかったが、それでも小さな王子様はとても憂鬱な気分になった。

「ここで何をしているのですか?」空瓶と一杯詰まった瓶の山の前で、黙って身構えている酔っ払いに向かって尋ねた。

「飲んでいるのだ。」酔っ払いは陰鬱な面持ちで答えた。

「何故のむのですか?」王子様は尋ねる。

「忘れる為だ。」酔っ払いは答える。

「何を忘れる為に?」王子様は同情の気持ちになって尋ねる。

「私が恥知らずだということを忘れる為に。」酔っ払いはうなだれながら告白する。

「何に対する恥ですか?」彼を助けてやりたいと思った王子様は尋ねる。

「自分が酒飲みだということ。」そう言うと酔っ払いは完全に黙り込んでしまった。

王子様はわけが分からなくなって立ち去った。

「大人というものは絶対に奇妙なものだ。」旅を続けながら王子様は独り言を言った。

 

なまかわ哲学庵 フランス語が読めるようになる講座より引用

 

続きを書きました。

是非お読みください。

酒は百薬の長? その2

 

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