心についてのまとめ
心の位置と形態
- 背の第五椎に付着する。
- 『いまだ開かない蓮の花の如し』と言われる形。
詳細は、心について。その1(心の位置と形態1) を参照して下さい。
心の働き
- 全身に血液を送るポンプ作用。
- 精神活動
詳細は、心について。その2(心の形態2)
心について。その4(神明を主る) を参照して下さい。
- 血の生成。
- 血の運行と脈管。
詳細は、心について。その3(血脈を主る) を参照して下さい。
その他
- 顔色と心の関係
詳細は、心について。その5(合は脈であり、華は顔にある) を参照して下さい。
- 舌と心の関係
詳細は、心について。その6(舌に開竅する) を参照して下さい。
- 汗と心の関係
詳細は、心について。その7(汗は心の液) を参照して下さい。
- 『喜』と心の関係
詳細は、心について。その8(志は喜である) を参照して下さい。
- 心は『陽臓』と言われる
詳細は、心について。その9(心は陽臓である) を参照して下さい。
おまけ
グレーテル先生、こんにちは。
トラヴァイさん、こんにちは。
グレーテル先生に質問です。
東洋医学の『心の臓』は、血のポンプ作用以外にも、精神活動の中枢を担うという事ですね。
西洋医学(現代医学)では、『心臓』がポンプ作用を行う事により血液循環に寄与していると考えます。これは、東洋医学も西洋医学も同じ考えです。
だけど、西洋医学では、『心臓』が精神活動を行うとは考えないです。
西洋医学では、精神活動の中枢は『脳』と考えます。
東洋医学は、『脳』の存在を知らなかったのでしょうか?
トラヴァイさん、いい質問です。
『脳』の事を東洋医学では、『髄海』といいます。
東洋医学では、『髄海』という名前で『脳』の存在を知っていました。
東洋医学も、『脳』の事は知っていたのですね。
東洋医学の『脳』、つまり『髄海』はどのような働きをすると考えていたのでしょうか?
古医書である『黄帝内経。素問・霊枢』に『髄海』についての記述がいくつかあります。
霊枢の『海論篇』に、髄海の量の変化により起きる症状の記載があるので、こちらを見てみましょう。
髄海有余、則軽勁多力、自過其度。
髄海不足、則脳転耳鳴、脛痠眩冒、目無所見、懈怠安臥。
髄の海に余りあれば、則ち軽勁多力にして、自ずから其の度を過ぐ。
髄の海足らざれば、則ち脳転じ耳鳴り、脛痠(しび)れ眩冒(げんぼう)し、目見る所なく、懈怠(けたい)して安臥(あんが)す。
~黄帝内経・霊枢『海論篇』より引用~
上記を意訳すると、
髄の海に余りがあると、身体が軽く力も充足して、一般の人たちより能力が高くなります。
髄の海が不足すれば、頭がクラクラして耳鳴りがする、足がダルくなりひどく頭がクラクラして眼の前が暗くなる、目が見えなくなる、怠けて横になりたがります。
という意味の事が書かれています。
霊枢『海論篇』の記述から推測すると、東洋医学において脳の役割は、身体の動きを円滑にする働きがあると考えていたと思います。
『脳』は、精神活動の中枢という記述では無いと思います。
つまり、東洋医学では、精神活動の中枢は『脳』ではなく『心』という事なのですね。
五臓には、それぞれの感情や精神活動があるけど、それを統合するのが『君主の官』である『心』になるのですね。
はい、トラヴァイさんの言う通りです。
古代の東洋の医者は『脳』の存在を知ってましたが、精神活動の中心とは考えていませんでした。
東洋医学の臓腑に対する考えに、【蔵象学説(ぞうしょうがくせつ)】というのがあります。
【蔵象学説】の特徴の1つを提示します。
蔵象学説における各臓腑は、単に解剖学的な臓器ではなく、生理的な機能単位になっている。
たとえば『心』は、現代医学の心臓だけを指すのではなく、循環系や一部の神経系の機能も包括しており、『神明を主る』とあるのは大脳の機能に相当する。
~基礎中医学 神戸中医学研究会編著~より引用
蔵象学説における各臓腑は、解剖学的というよりも、機能(働き)で各臓腑を分けているのです。
つまり、
東洋医学の臓腑というのは、働きで各臓腑を区別していると考える事も出来ます。
『心』が精神活動の中枢を担うというのは、心臓の細胞が精神活動を担うという意味ではありません。
精神活動を統合したり、血液を送るポンプ作用を担ったり、それらに関係する働きは、『心』の役割と考えましょう。というのが、東洋医学の臓腑に対する考えです。
それを象徴したのが、和漢三才図会の『心』の絵です。
下の『心』の絵には、各臓腑との繋がりが描かれています。
これも、『心』の働きを描いていると思います。
東洋医学の臓腑に対する考えや、『心』について、よく分かりました。
グレーテル先生、ありがとうございました。
トラヴァイさん、お話を聴いてくれてありがとうございました。